還暦♪インコの家
還暦記念にウロコインコお迎えしたよ
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子供の頃ブンチョウや十姉妹を飼っていたのを十年前に思い出し、またカナリアなどを飼い始めたよ。還暦前にインコ大好きに!

kan英彦山

Author:kan英彦山
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地震の中で感謝と感動
病院に着くと担当医の方から説明がありました。
今は酸素吸入?マスクを付けてあるけど、それでもダメな時はのどに穴をあけて
延命処置をするかどうか???いきなりそんな話しで、驚くばかり。
ともかく、横浜在住のつれあいの娘達にも連絡を取って、担当医から説明して頂くことに。

幸い、しばらくすると意識が回復し、最悪の事態は免れたようでした。

その夜は、病院から近い実家に戻り、4日ぶりに布団で寝ることができました。
3日間はあまり寝ていなかったけど、あまりに色々なことがありすぎてすぐには眠れませんでした。

18日は、元会社の同僚が片づけを手伝ってくれるというので、朝、病院に寄って、
容態が落ち着いているのを確認して自宅に帰りました。

同僚は、水や食料を持参して、一番酷かった台所をとりあえず使えるように助けてくれました。
電気だけ復旧し、水もガスも未だだけど、元の日常に戻れる最初の一歩になりました。
一人であの惨状を前にして、とても何もする気になれなくて、インコの居る座敷のみ
片付けて(というか、ここはほとんど被害がなかった)、とりあえずの自分の居場所を
作っていた状態でした。  本当に感謝!です。
この夜は地震以来、5日ぶりに自宅で眠りました。
余震が続き、そのたびにドキドキして逃げ出したくなる。その後は救急車か消防車の
サイレンがしばらく鳴り響く。
こんな怖い所にインコ達はいやおう無く逃げることも出来ずいたんだもんね。
せめて私が居て、夜も電灯がついていたら、少しは安心してくれるかな?


翌日19日は義妹が、これまた、あれ以来踏み入れなかった2階の部屋の片付けを手伝ってくれて
たくさんの差し入れもくれました。 感謝!感謝!です。
その後、病院に行って、夕方物置組のインコの世話をしていた時です。


物置の基礎はこんな状態 コンクリートにもあちこち亀裂が
046.jpg


オカメインコの巣箱から雛の声が!?

最初は気のせいか?と耳を疑いましたが、あのシュッシュッというような声が
聞こえるではないですか!
まさか! あの地震の中で雛が誕生していたんです!
感動して思わず涙がこぼれてしまいました。

あの臆病なオカメインコ達が頑張ったんだね。
孵化が近いことを知っていたので、一生懸命暖め続けたんだね。

この後、まだ衝撃があるかもしれないけど、多分育児放棄することは
ないような気がします。新たな命が親オカメ達を励ましてくれたんだね。

地震の中で生まれた仔たち。
これからも無事で育ってくれることを祈ります。


今にも落ちそうな太陽熱温水器
040_20160421222952579.jpg


倒れたプロパンガスボンベ 留め金は壁付けだったので穴が!
直後はガスがシューシューと漏れ出し、そこかしこガスの匂いが!
急いで栓を閉める  まわりは皆プロパンなので、同じ状況
037.jpg


最後に癒しを!
セキセイインコの末っ子、こんなに可愛くなりましたよ
049.jpg


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大地震の中の命
4月16日未明、ともかく早く夜が明けて明るくなって欲しかった。
何度もスマホから地震警報が鳴り、車中でも大地が揺れるのがわかる。
インコ達は、家がつぶれない限りケージの中にいたら
何とかなると思ったけれど、何とかならないような気配なのは
助手席に居るつれあいの様子。

いきさつは省略するが、結果として済生会病院の緊急外来に連れて行き
その朝、入院となった。ぜんそくの発作だ。
診断を待つ間、病院近くの小学校の体育館で待機するように言われる。
そこは避難所になっていて、もう百人以上の人が避難していた。
そこで水を茶碗に一杯はもらえた。

既に水とすぐ食べられるおにぎりやパン等はコンビニの店頭から
なくなっていた。他の店はほぼ臨時休業。
家は無事でも、水や食料の備蓄の無い人は即、飢えなければならない。
トイレだってままならないのだ。
ガソリンスタンドには数百メートルの車列。中には「ガソリン切れ」の
手書きの紙を貼りだしてあるスタンドも。

街は昨日までの日常と一変していた。

つれあいは昼過ぎに病室に落ち着いた。
これでとりあえずひと安心。
病院も入院食など作れないので、自衛隊の持っているようなパック入りの
携帯食を最小の食器で提供していた。お茶などもつかない。
いいじゃないの!これで飢える心配ないでしょ!済生会病院に感謝!

夜中の地震を朝知った遠方在住の妹や息子が心配して何度も
連絡をくれる。色々な情報を調べて教えてくれる。
街の現状と病人とインコの家のことが気にかかってボーっとしている私に、
何をすべきか教えてくれる。


私は、実家に行った。
さすがに○○○○ハイム、地震には強かったようで、被害も最小限で
済んでいた。母は余震がきたらすぐ逃げられるようにと、玄関先で
おにぎりをにぎっていた。さすが、たくましい!
水は弟達が調達してくれていた。

10年ちょっと前、実家が全焼した。そのときは真冬だったが、母は風呂上りの
一糸まとわず、の姿で隣家が類焼しないようにバケツで水かけてたという
武勇伝の持ち主。
その母が言うには、「火事より地震が恐ろしい」と。
火事は家の外に逃げればそのうち消火されるけど、地震は逃げようがないと。
なるほど・・・と妙に納得する。

その晩は実家近くのスーパーの駐車場で母と車中泊。

17日は一度病院に顔を出し、インコが気になるので自宅へ。

みんな変わりは無かったけど、秋草さんはさすがに抱卵放棄してた。
いいんだよー、君たちが無事なら!
みんなに餌をたくさん入れておくが、水は余震の揺れでこぼれるので
あまりたくさん入れられない。
セキセイインコの4兄弟。一番末っ子は完全には一人餌になっていないが
上の兄弟たちが世話してくれている。嬉しいね!
本当に小さなか弱い命たち。何とか守ってあげないとね。
みんな生き延びるんだよ!頑張ろうねー!と思わず声をかける。

家の中は台所が特に酷い状態。冷蔵庫は傾き、食器棚は倒れ
電子レンジなどあらゆるものが飛んで落ちている。
勿論、ほとんどの食器類は割れているし・・・手がつけられない、
というか、足を踏み入れられない。
家の中の惨状は、まあしょうがないが、問題は家の外だね。

つれあいのアパートに行って着替えなど持ち出す。
ここも、部屋の中はひどいけど、あまり物がない分マシか。

夕方、実家に帰り少し落ち着く。今夜は家で寝てみようということにした。
すると、済生会病院から電話。何とつれあいが意識不明になったという。
看護士さんもあわてた口調で説明してたが、ともかくすぐ行きますと返事。


(これまたつづく、すみません、つい長くなります。これでも端折ってマス(=゚ω゚)ノ)